ニール・ヤング Don’t Be Denied 僕を否定しないで〜小児麻痺の後遺症、学校でのイジメ、両親の離婚、音楽への目覚め
1945年11月12日。ニール・ヤングは、カナダ・オンタリオ州トロントで生まれた。父親はジャーナリストで、当時『トロント・グローブ・アンド・メイル』紙の有能なスポーツ記者だった。母親はドーターズ・オブ・ジ・アメリカン・レボリューション(アメリカ革命の娘という意味で、アメリカ独立戦争当時の精神を継承しようとする女性団体)の会員だった。...
View Articleビートルズが『ジューク・ボックス・ジュリー』で「HIT」のカードを上げた曲「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」
イギリスBBCの音楽番組『ジュークボックス・ジュリー』は、発売される新曲を聴いて審査員が評価するという内容で、新曲がヒットするかどうかをジュークボックスで聴いて、ヒットすると思ったら「HIT」のカード、ヒットしないと思ったら「MISS」のカードを出す。 1959年から始まった番組で、60年代にポップ・ミュージックが流行するとともに人気が出た。アルフレッド・ヒッチコック 、 スパイク・ミリガン 、...
View Articleはじめての楽器は洗濯板だったというジョージ・ハリスン
ビートルズ時代には、“静かなるビートル”と呼ばれていたジョージ・ハリスン。 ジョン・レノンとポール・マッカートニーという大きな存在に隠れがちだったジョージだが、自身も内向的な性格で積極的に前に出ようとはしなかったことが、“静かなるビートル”のイメージに拍車をかけた。 ジョージがそのような性格になったのは、中学校に入った頃からだという。...
View Articleエルヴィス ・プレスリー「68 カムバック・スペシャル」~完全復活を果たした7年ぶりのライブ
アメリカ南部のテネシー州メンフィスから登場し、瞬く間に全米の頂点へと昇りつめた男、エルヴィス・プレスリーがアメリカ陸軍に徴兵されたのは、1958年3月のことだった。 エルヴィスの歌に出会ったことによって、音楽そのものに目覚めたというジョン・レノンがこう述べていた。 彼は軍隊に入った日に死んだ。...
View Articleエルヴィス、キャッシュ、パーキンス、ルイスによる奇跡のセッション「ミリオンダラー・カルテット」
世界中にロックンロールが広まったエポック・メイキングな1956年も、そろそろ終わりが近づいてきた12月4日。いくつもの偶然が重なりあったことから、音楽史に残る奇跡のセッションがメンフィスのスタジオで起こった。 全米の若者を熱狂の渦に巻き込んでいたエルヴィス・プレスリーが、インディーズ時代を過ごしたテネシー州メンフィスにある古巣のサン・レコードを、何の予告もなく訪れたのがことの始まりだった。...
View Article「ミックはロック、俺はロールさ」~レコードの発明から生まれたローリング・ストーンズのソングライター
ローリング・ストーンズのキース・リチャーズはバンドの相方であり、ソング・ライティングのパートナーでもあるミック・ジャガーについてこう語っている。...
View Articleジミー・ペイジのFirst Step〜13歳で夢中になったロカビリー、14歳の時に父親からプレゼントしてもらったファーストギター
ジミー・ペイジといえば…1970年代に“最も成功したロックバンド”レッド・ツェッペリンの中核を担ったギタリスト兼リーダーである。 若い頃からアートスクールとの二足の草鞋でセッションギタリストとして活躍し、ジョー・コッカーのバックバンド、ニコのプロデュース、ザ・フーのレコーディングへの参加、ヤードバーズへの加入を経て、1968年にレッド・ツェッペリンを結成する。...
View Article労働者の歌〜忌野清志郎も愛読した小説『土曜の夜と日曜の朝』から聴こえてくる名曲たち
忌野清志郎が青春時代に愛読し、影響を受けたという小説がある。ジョン・アップダイクの『走れウサギ』、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』、そしてJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』などと共に清志郎が挙げていたのが、イギリスの作家アラン・シリトーの作品だった。 『土曜の夜と日曜の朝』(新潮社文庫)には、こんな解説がある。...
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