ミステリー・トレイン〜ジョー・ストラマーや工藤夕貴らが出演したジャームッシュ映画
『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の後、一通の奇妙な手紙がジム・ジャームッシュの手元に届いた。そこには「あなたの映画が好きだ。一緒にビールを飲もう。私は東京に住んでいる」と書いてあった。もしNYに来られるならOKだよと返事すると、10日後、本人がやって来た。...
View ArticleAlison〜ウディ・アレンの映画のような傑作ラブソング
63歳を迎えたエルヴィス・コステロ。 彼の本名はデクラン・パトリック・アロイシャス・マクマナスという。 1954年8月25日、ロンドンで生まれた彼のステージネームは、憧れのエルヴィス・プレスリーと父方の祖母の旧姓に由来している。 彼の血統(ルーツ)でもあるコステロの姓は、アイルランド系に多い苗字。...
View Articleビートルズの4人とエルヴィス・プレスリーが一堂に会した夜
「史上最も成功したソロ・アーティスト」とギネスに認定されたエルヴィス・プレスリー。 そして「史上最も成功したグループ・アーティスト」とギネスに認定されたビートルズ。 新旧を代表するスーパースター同士による面会が実現したのは、1965年8月27日のことだった。 この年の夏、ビートルズは全米ツアーの真っ最中だった。...
View Articleトップ10アルバム数ランキング1955-2017〜最多はあの現役ロックバンドの37枚!!
「TAP the CHART」第84回 「No.1アルバム数ランキング1945-2017〜72年間で最もチャートを賑わせた歌手やバンドは?」では、No.1アルバムを数多く放ったアーティストを取り上げたが、今回はNo.1ヒットを含むトップ10アルバムの数を集計してみた。人気を長く維持するアーティストから意外なアーティストまでが登場。No.1ランキングとは変わった点も楽しめる。...
View Articleジョニー・キャッシュ〜【特集序文】老いても、それでも歌い続けるということ
ロックンロールが産声を上げたばかりの1950年代半ば。 エルヴィス・プレスリーは、幼い女の子たちに挑発的に腰を振ってすべての大人たちから怒りを買った。そしてチャック・ベリーは、ロックンロール史上最も有名なリフとスリーコードでティーンエイジライフのすべてを奏でた。どちらも忘れ得ぬ断片だろう。 しかし、もっと衝撃的なことがこの頃のステージで起きていた。...
View Article「ミックはロック、俺はロールさ」~レコードの発明から生まれたローリング・ストーンズのソングライター
ローリング・ストーンズのキース・リチャーズはバンドの相方であり、ソング・ライティングのパートナーでもあるミック・ジャガーについてこう語っている。 「ミックは生涯の友達だよ。 俺のパートナーさ、結婚を超えた間柄だ。 4歳のとき、公園の砂場で出会ったんだ。 小さなバケツを持ってたっけ‥‥、今も変わらない(笑)。 ふたりの関係はとても複雑で、俺自身もどんなものか理解できてない。...
View Articleトップ10シングル数ランキング1955-2017〜最多はあの世界的エンターテイナーの38曲!!
「TAP the CHART」第88回 「No.1ヒット数ランキング1890-2017〜127年間で最もチャートを賑わせた歌手やバンドは?」では、No.1ヒットを数多く放ったアーティストを取り上げたが、今回はNo.1ヒットを含むトップ10シングルの数を集計してみた。人気を長く維持するアーティストから意外なアーティストまでが登場。No.1ランキングとは変わった点も楽しめる。...
View Articleトム・ペティのロックンロールはエルヴィスと会ったことから始まった
1950年にフロリダ州のゲインズビルで生まれたトム・ペティ。 彼がロックに目覚めたきっかけはエルヴィス・プレスリーだった。 1956年に「ハートブレイク・ホテル」をヒットさせると、瞬く間にスターダムを駆け上がり、“キング・オヴ・ロックンロール”の座に就いたエルヴィスには、トムだけでなく多くの少年少女が夢中になった。...
View Articleレコードを聴いて学ぶことができたロックンロールの魂が受け継がれている「ハングリー・ハート」
ブルース・スプリングスティーンの「ハングリー・ハート」は1980年10月21日、2枚組の大作となったアルバム『The River(リバー)』からシングル・カットされた。 イントロが始まった瞬間から聴こえてくるオールディーズのような懐かしさと、思わず身体が動き出すフィル・スペクター的なサウンドは、80年代のロックンロール誕生を予感させるものだった。...
View Articleミシェル・ポルナレフが選んだ生き方
ミシェル・ポルナレフ。 彼の名前や、その特徴的な風貌を知らない人でも、彼が書いたメロディーは耳にしたことがあるはずだ。中でも、彼が1972年に発表した「愛の休日」は、様々なシーンで今でも使われている。 日本人の僕らにはピンとこないが、ポルナレフという名前は、彼が生まれ育ったフランスでは、不思議な響きがするらしい。そう、その名前は明らかに、フランス人のそれではないからである。...
View Article帰れソレントへ〜名立たるオペラ歌手たち、エルヴィス、そして美空ひばりが歌い継いできた100年以上前の名曲
ごらん、なんて美しい海だろう 豊かな感情があふれている 君の優しい言葉が 僕を夢心地にするように… ごらん、この庭を このオレンジの花の香りを感じて 繊細な香りが 心にしみ入るようだ… なのに君はさよならと言う 僕の心から遠く離れてゆく そして恋の思い出がつまったこの地からも… 本当に戻る気はないのかい? 行って欲しくないんだ 僕を悲しませないで… 帰れソレントへ 僕を助けてくれ...
View Articleジミー・ペイジの心を掴んだギタリストにしてエルヴィスの相棒、スコッティ・ムーア
1970年代のロックシーンを牽引したバンド、レッド・ツェッペリンのギタリストで、日本では三大ギタリストの一人としても知られているジミー・ペイジ。 彼がギターとはじめて出会ったのは1952年、8歳頃のことだ。 その年にジミーは家族とともにサリー州のエプソン市へと引っ越したのだが、新しい家にはどういうわけかアコースティックのギターが置いてあった。 ジミーにとってはまさに天啓ともいうべき幸運だった。...
View Article「ハートブレイク・ホテル」誕生秘話 ~ 60年の時を経て明かされた謎とは?
エルヴィス・プレスリーが「ハートブレイク・ホテル」で、初めて全米1位を獲得したのは1956年3月3日のことだ。 それは、田舎町から出てきた若者の人気が本物であることが証明された瞬間であり、20世紀の音楽史が新たな時代を迎えた瞬間でもあった。 この曲がのちのロックシーンに与えた影響の大きさは計り知れず、ビートルズのメンバーを筆頭に、この曲によって人生が変わったというミュージシャンは数知れない。...
View Articleエディ・コクランを偲んで〜ロックンロール草創期の大スターが遺した足跡と功績
1950年代、アメリカでは幾人かの“ロックスター”が誕生した。 その中でも70年代までスターであり続けたのは、エルヴィス・プレスリーただ一人だけだった。 50年代に活躍したスターたちは、奇しくもそろって悲劇的な事故により夭逝し“伝説”として語り継がれる存在となった。...
View Article一本の電話〜最後のレコーディング
「仕事をくれ、そうしないと死んでしまいそうだ…」 プロデューサーのリック・ルービンが握り直した受話器の向こうで、重くうちひしがれた声が聞こえた。 電話の主の最大の魅力でもある“低く艶のあるバリトンボイス”とは似て非なる渇いた声に、 リックはかける言葉も見つけられないまま頷くしかできなかった。 2003年5月15日、ジョニー・キャッシュの最愛の妻ジューン・カーター・キャッシュが天国に旅立った。...
View Articleボ・ディドリーを偲んで〜名立たるロックスター達がこぞって継承してきたビートの発明者
「俺はチャック・ベリーみたいに器用なことは出来ねえ!ガンガン鳴らすだけだ!」 2008年6月2日、ボ・ディドリー(享年79)が米国フロリダ州アーチャーの自宅で息を引き取った。 死因は心不全と発表された。 晩年も精力的にツアーをこなしていたが…2007年5月13日、公演先のアイオワ州カウンシルブラフスで脳卒中をおこして入院を余儀なくされる。...
View Article歌う楽曲をすべて自分でプロデュースすることで、未来を先取りしていたエルヴィス・プレスリー
1965年にロスアンゼルスで設立されたダンヒルは、プロデューサーのルー・アドラーによる新興レーベルだったが、初陣を飾ったバリー・マクガイアの「明日なき世界」が全米1位の大ヒットになった。 それに続いてママス・アンド・パパスの「夢のカリフォルニア」「マンデー・マンデー」が次々にヒットし、グラスルーツなどを輩出して短期間で大成功を収めた。...
View Articleキース・リチャーズが、ジミー・ペイジが敬愛したギタリスト、スコティ・ムーア
1950年代に青春を過ごした者たちは、誰もがエルビスに憧れたものだった。デビュー前のビートルズは、ジョンもポールもジョージも、リーゼントで革ジャン姿だった。だが、キースは違った。 「『ハートブレイク・ホテル』を聴いた時、人生の目的がわかったのさ。とにかく、ああいうふうに弾きたい、それだけだった。誰もがエルビスになりたがっていたが、俺はスコティになりたかったのさ」...
View Articleテレビを利用したプロモーションとその反動~犬を前に置いて「ハウンド・ドッグ」を歌ったエルヴィス・プレスリー
1950年代半ばのアメリカでは一般家庭にテレビの普及が進んでいたので、エルヴィスのマネージメントを手がけるパーカー大佐は新しいメディアの影響力を最大限に利用しようと考えた。 最初のテレビ出演が行われたのは1956年1月28日、メジャーのRCAに移籍して最初のシングル「ハートブレイク・ホテル」が発売されたの翌日のことだ。...
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