「ラヴ・ミー・テンダー」の原曲にあたる「オーラ・リー」を歌った伝説の女優フランシスの悲劇
1936年に公開されたアメリカ映画『大自然の凱歌』のなかで、ヒロイン役のフランシス・ファーマーが歌った「オーラ・リー」は、後にエルヴィス・プレスリーによってカヴァーされて「ラヴ・ミー・テンダー」となり、世界中で知られる名曲になった。...
View Article「長崎は今日も雨だった」~エルヴィス・プレスリーとドゥーワップから生まれた新しい日本の歌だった
「長崎は今日も雨だった」はRCAレーベルのディレクターになった山田競生が最初に手がけたアーティスト、内山田洋とクール・ ファイブの記念すべきデビュー曲である。 山田は明治大学に在学中からプロのハワイアンバンドでベースを弾いていたが、1958年からは10年間にわたって和田弘とマヒナスターズのベーシストとして活躍した。...
View Articleエルヴィスの一言によって永遠のラヴソングとなった「好きにならずにいられない」
♪ 賢者が言うには 恋を焦るのは愚か者 でも僕は 君と恋に落ちる自分を どうすることもできないのさ ♪ 映画「ブルーハワイ」の挿入歌として使用されたエルビス・プレスリーの「好きにならずにいられない」は、今でも人気のラブ・バラードだ。コリー・ハート、UB40がカバーしてヒットさせただけでなく、ブルース・スプリングスティーンなどもステージで披露している。...
View Articleフランク・シナトラのTVショーに呼ばれて「ラヴ・ミー・テンダー」で共演したエルヴィス・プレスリー
エルヴィス・プレスリーが2年間の兵役を終えてアメリカ陸軍を除隊した後、最初に行った仕事はTVの特別番組『フランク・シナトラ・タイメックス・ショー』へのゲスト出演だった。...
View Article「思い出のグリーングラス」~処刑の日をむかえる朝に死刑囚が見た美しい夢の歌
カントリーの聖地と呼ばれるテネシー州のナッシュヴィルを中心に活動をしていたカーリー・プットマンが1965年に発表した「思い出のグリーングラス(Green, Green Grass Of Home)」は、カントリー・チャートではポーター・ワゴナーの歌ったヴァージョンがヒットした。...
View Articleエルヴィス・プレスリー27歳~決定的なものが失われたことによってなしくずしに始まった雲上人伝説
エルヴィス・プレスリーは陸軍に徴兵された1958年3月24日から2年間、実質的に音楽活動が出来ない期間を過ごしている。 そして除隊した後は以前の生活に戻ることが出来たのだったが、その間に実は決定的なものが失われてしまった。 最愛の母のグラディスが病に倒れて、1958年8月14日に亡くなったのである。 まだ46歳、早すぎる死だった。...
View Article「監獄ロック」~最盛期に最高の映画が公開されなかったエルヴィスと日本の不幸なめぐり合わせ
1957年秋に公開されたエルヴィス・プレスリーが主演する映画『監獄ロック』は、彼が出演した31本の作品の中でも爆発的な人気を博したことや、生き生きとした歌と踊りの場面があったことから傑作だという声が多い。 テネシー州メンフィスにある映画館の案内係として週給12.75ドルという低賃金で働く若者のヴィンスは、いつの日か映画スターになる夢を見ていたが、酒場でのトラブルで誤って相手を殴り殺してしまう。...
View Article7月のナンバーワンアルバム③〜エルヴィス・プレスリー/ドナ・サマーほか
★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第273回〜PINK〜...
View Articleアメリカン・ポップスの黄金時代を牽引するリーバー&ストーラーが脚光を浴びた「ハウンド・ドッグ」
アメリカン・ポップスの黄金時代を牽引したジョニー・リーバー&マーク・ストーラーが書いた最初のナンバーワン・ヒットは、ゆったりしたルンバのリズムの乗せたシンプルなブルースだったので、楽曲を作るのには15分もかからなかったという。...
View Article安井かずみや平尾昌晃を通じて歌謡曲に影響を与えたエルヴィスと「ハートブレイク・ホテル」
エルヴィス・プレスリーが世界的に人気歌手の地位を確立したのは、1956年にアメリカだけでなくヨーロッパや日本でも大ヒットした 「ハート・ブレイク・ホテル」からのことだ。 エルヴィスにとって初のビルボード・チャート1位になり、売り上げも200万枚を突破して初のゴールドレコードをもたらした。...
View Articleエルヴィスの「Can’t Help Falling In Love」にロックの魂を吹き込んだHi-Standard
「キング・オブ・ロックンロール」として知られるエルヴィス・プレスリーが1961年にリリースした「Can’t Help Falling In Love」(邦題『好きにならずにはいられない』)。 18世紀のフランスで作られた「愛の喜び」を基にした美しいメロディは、エルヴィスの深みがる歌声によってバラードのスタンダードナンバーとなり、今でも歌い継がれている。...
View Article「68 カムバック・スペシャル」~7年ぶりのライブ・ステージで完全復活を遂げた伝説のロックンロール・スター
アメリカ南部のテネシー州メンフィスから登場し、瞬く間に全米の頂点へと昇りつめた男、エルヴィス・プレスリーがアメリカ陸軍に徴兵されたのは1958年3月のことだった。 当時のアメリカでは徴兵制が敷かれており、それは大スターとて例外ではなかった。 エルヴィスの歌に出会って音楽に目覚めたというジョン・レノンは、そのことについてこう述べていた。 彼は軍隊に入った日に死んだーー。...
View Article8月に去ったレジェンド②〜レス・ポール/エルヴィス・プレスリーほか
★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第280回〜BLUE〜 (8月に亡くなった主なミュージシャン)...
View Articleブルース・スプリングスティーンが憧れのヒーローだったエルヴィスのために書いた「ファイア」
ブルース・スプリングスティーンは2016年にBBCラジオ4に出演したとき、無人島に持っていくレコードについて、「これは俺を感電させた音楽なんだ。ある種、俺の人生を変えるように駆り立ててくれたものなんだよね」と語っている。 彼が選んだのは以下の8曲、筆頭がエルヴィス・プレスリーだった。 エルヴィス・プレスリー「ハウンド・ドッグ」 (1956) ザ・ビートルズ「抱きしめたい」(1963)...
View Articleスティーヴン・タイラー少年時代〜チャビー・チェッカーと水着の女に感じたロックンロールとセックス
1948年3月26日、彼はアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市の最北端に位置する行政区ブロンクスの総合病院で生まれた。 アメリカが生んだ“ロックンロールバンドの最高峰”エアロスミスのボーカリスト、スティーヴン・タイラーの出生記録には複雑な血筋が綴られている。 彼の体にはイタリア系とウクライナ系ユダヤ人(当時はロシア)とインディアン(チェロキー族)の血が流れているという。...
View Articleジョー・サウスを偲んで〜その名を知らなくても“あのメロディー”“あのギタープレイ”を聴けばわかる!才人の足跡と功績
ジョー・サウスというアーティストをご存知だろうか? 60年代〜70年代、アメリカを中心にシンガーソングライター/ギタリストとして活躍した人物だ。 2012年9月5日、彼はジョージア州ビュフォードの自宅で亡くなった。 死因は心臓発作による自然死と発表された。72歳だった。 日本では彼の活躍を知る人が少ないという。 洋楽に興味を持っている人でないと、なかなか彼の名前を目にすることはない。...
View Articleジョシュ・ホワイトを偲んで〜運命を変えた“1つ”のミートボール
1969年9月6日、ニューヨーク州ナッソー郡マンハセットにあるノース・ショア病院でジョシュ・ホワイトが亡くなった。享年55。 心臓弁置換手術の最中に、手術台の上で息を引き取ったという。 晩年、心臓疾患に悩まされていた彼は、この日、3度目の手術を受けていた。 ニューヨークを本拠地にしていた彼は、シンガーソングライター、ギタリスト、俳優、社会活動家として活躍した多才なアーティストだった。...
View Article「カムバック・スペシャル」で完全復活を果たすまで②~エルヴィスを支えていた思いとは?
自分をとりまくビジネスにしか関心がなかったパーカー大佐は、短期間に完成する低予算の作品にしか興味を示さず、どんなに良質な映画だろうと持ち込まれても見向きもしなかった。 『ウェストサイドストーリー』も『真夜中のカウボーイ』も、企画の段階であっさりパーカー大佐に却下されてしまったという。 その意味でエルヴィスが期待を寄せていたのは、パラマウントの映画プロデューサーだったハル・B・ウォリスだった。...
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