デヴィッド・ボウイ少年時代①〜3歳で化粧!?エルヴィス・プレスリーの衝撃
1947年1月8日、デヴィッド・ボウイはロンドン南部ブリクストンで生まれた。 この日は奇しくも稀代のスーパースター、エルヴィス・プレスリー(当時12歳)の誕生日でもあった。 彼が生まれたその街は、ランベス・ロンドン自治区にあり、アフリカ系移民が多く住んでいるエリアとして知られている。 当時そこに暮す人達のほとんどが労働者階級者で、皆が貧しく、通りは殺風景で、うらぶれた雰囲気の街だったという。...
View Articleテレビ出演で猟犬に向かって「ハウンド・ドッグ」を歌わせられたエルヴィスの屈辱
1950年代半ばのアメリカでは一般家庭にテレビの普及が進んでいたので、エルヴィスのマネージメントを手がけるパーカー大佐は、新しいメディアの影響力を最大限に利用しようと考えた。 最初のテレビ出演が行われたのは1956年1月28日、メジャーのRCAに移籍して最初のシングル「ハートブレイク・ホテル」が発売された翌日のことだ。...
View Article安井かずみや平尾昌晃というソングライターを通じて歌謡曲にも影響を与えていたエルヴィス・プレスリー
エルヴィス・プレスリーがアメリカだけでなく、世界的に人気歌手の地位を確立したのは1956年、ヨーロッパや日本でも大ヒットした 「ハート・ブレイク・ホテル」からだ。 アメリカではエルヴィスにとって初のビルボード・チャート1位になり、売り上げも200万枚を突破して初のゴールドレコードをもたらした。...
View Article【ジョニー・キャッシュ特集序文】老いても、それでも歌い続けるということ
ロックンロールが産声を上げたばかりの1950年代半ば。 エルヴィス・プレスリーは、幼い女の子たちに挑発的に腰を振ってすべての大人たちから怒りを買った。そしてチャック・ベリーは、ロックンロール史上最も有名なリフとスリーコードでティーンエイジライフのすべてを奏でた。どちらも忘れ得ぬ断片だろう。 しかし、もっと衝撃的なことがこの頃のステージで起きていた。...
View Articleデヴィッド・ボウイ少年時代②〜初めての楽器レッスン体験がワイルドサイドへと繋がった!?
1955年、当時8歳になったデヴィッドは、母の影響によってエルヴィス・プレスリーから大きな衝撃を受けることとなる。 ほぼ同じタイミングで、彼は人生を変える曲に遭遇したという。 「父親は仕事の特権もあって最新のレコードを定期的に持ち帰って来てたんだ。その頃の僕はアメリカの音楽に夢中だった。“Rock Around the Clock”や“Tutti Frutti”そして“Long Tall...
View Article“ロックの裏面”を衝撃的な写真とともに綴った『ロックンロール・バビロン』
ロックンロールが産声を上げてから60年以上が経つ。そしてその歴史上、最も眩い輝きと底知れぬ力を放っていたのが1960年代と70年代であることは今さら誰も否定できない事実だろう。あの奇跡的な復権があった90年代は別として、ゼロ年代以降「ロックンロール」という響きはもはや若い世代とすっかりシンクロしなくなってしまった。...
View Articleダイナー〜選曲が心地いいミッキー・ローク出演の1959年の青春グラフィティ
これまで本コーナー「TAP the SCENE」ではたくさんの青春映画を取り上げてきた。子供の頃に親に連れられて観たファンタジーアニメや家族向け映画とは違い、低予算でリアルな青春映画は初めて自分の小遣いで映画館に出向いた“体験”であり、スクリーンに映っているのは等身大の“人生”でもあった。...
View Articleパティ・スミス少女時代②〜憧れのマリア・カラス、ローリング・ストーンズの衝撃、そしてディランとの出会い
1956年、彼女が9歳の時に一家は同じフィラデルフィア圏内のサウスジャージーに引っ越す。 彼女は新しく通うこととなった学校の音楽教師に影響を受けたという。 その男性教員は無類のオペラ好きだった。 彼は自分のコレクションのレコードを学校に持ってきて、生徒たちに聴かせていた。...
View Articleエリック・クラプトン少年時代①〜複雑な家庭環境、ジェリー・リー・ルイスの衝撃、自己流で弾き始めたギター
彼の生い立ちは複雑だった… 母親のパトリシアは彼を産んだ当時、未婚の16歳だったという。 父親は英国に駐留していた既婚のカナダ兵だった事から、彼は祖母に預けられて彼女の再婚相手の子供(実母とは異父兄弟)として育てられたのだ。 彼はそこで青年になるまでの時期を“リック”と呼ばれて過ごした。 その後、母親はクラプトンを引き取ることはなく、別の男性とドイツで結婚する。...
View Articleデヴィッド・ボウイが憧れのエルヴィスからもらった手紙
10月9日は“世界郵便の日”です。 全世界を一つの郵便地域にすることを目的に万国郵便連合(Universal Postal Union:UPU)が発足した日ということで…今日は“手紙”にまつわるロックなエピソードをご紹介します。 ──1950年代の中頃、アメリカはもちろんのこと、イギリスの女性たちもラジオから次々と流れてくるエルヴィス・プレスリーの声に心を奪われていた。...
View Articleミシェル・ポルナレフの「愛の休日」で衝撃を受けたユーミンが身につけた作詞の視点
日本でミシェル・ポルナレフが有名になったのは1971年に発売した「シェリーに口づけ」が、歌謡曲に混じってオリコンのベストテンに入るほどの大ヒットになったからだった。 さらに1972年に発売された「愛の休日」も「シェリーに口づけ」を上回るヒットを記録し、アマチュア時代のユーミン(荒井由実)にまで大きな影響を与えたという。...
View Articleファッツ・ドミノ〜“ロックンロールの創始者の一人”と言われた男の偉大な功績と足跡〜
それはローリング・ストーンズがまだデビューして間もない頃の出来事だった。 ある日、ミック・ジャガーは歌詞が聞き取りにくいというリスナーからの苦情を受ける。 それに対してミックは得意気にこう答えたという。 「それでいいんだ!俺はファッツ・ドミノの歌を聴いて独特のサウンドを習得したんだ!」 後日、あるインタビューでそのエピソードを聞いたファッツはこんな風に答えた。...
View Articleあのバンドや歌手のアルバム売上枚数は?〜セールスランキングTOP 30発表
2000年代半ば以降、ダウンロード購入による単曲買いやストリーミングサービスや動画サイトが基準化し、「アルバム不況」と呼ばれる時代に突入した。そんな状況の中、2011年2月にリリースしたアデルの『21』は音楽賞を総ナメ。チャートの記録を塗り替えるだけでなく、全米で1400万枚以上/世界で3000万枚以上をセールスするという“異変”を起こした。...
View Articleジョーン・バエズ少女時代②〜昼休みに学校で唄っていた中学時代、政治に関心を深めていった高校時代
幼い頃にはじめたピアノ、そして合唱、さらに彼女は父親の知り合いの手解きを受けてウクレレの演奏も始めていた。 当時、ポピュラー音楽のほとんどが、カントリー&ウェスタンとリズム&ブルースだったという。 彼女はまだ中学生だったにも関わらず、その90%の曲で使われている4つのコードをすでにマスターしていた。...
View Article【ジョニー・キャッシュ特集序文】老いても、それでも歌い続けるということ
ロックンロールが産声を上げたばかりの1950年代半ば。 エルヴィス・プレスリーは、幼い女の子たちに挑発的に腰を振ってすべての大人たちから怒りを買った。そしてチャック・ベリーは、ロックンロール史上最も有名なリフとスリーコードでティーンエイジライフのすべてを奏でた。どちらも忘れ得ぬ断片だろう。 しかし、もっと衝撃的なことがこの頃のステージで起きていた。...
View Articleミステリー・トレイン〜ジョー・ストラマーや工藤夕貴らが出演したジャームッシュ映画
『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の後、一通の奇妙な手紙がジム・ジャームッシュの手元に届いた。そこには「あなたの映画が好きだ。一緒にビールを飲もう。私は東京に住んでいる」と書いてあった。もしNYに来られるならOKだよと返事すると、10日後、本人がやって来た。...
View Articleミシェル・ポルナレフの「愛の休日」で衝撃を受けたユーミンが身につけた視点と浮遊感
日本でミシェル・ポルナレフが有名になったのは1971年に発売した「シェリーに口づけ」が、歌謡曲に混じってオリコンのベストテンに入るほどヒットしたからだ。 さらに1972年に発売された「愛の休日」がそれを上回る大ヒットを記録し、アマチュア時代のユーミン(荒井由実)にまで大きな影響を与えたという。...
View Article片岡義男の小説集『ロンサム・カウボーイ』とエルヴィス・プレスリーの”lonesome” 、そして佐藤秀明の写真集『LONESOME COWBOY』
写真・佐藤秀明 作家の片岡義男が”lonesome” とは何かについて英語で教えられたのは、まだ子供の頃のことだったと最新のエッセイで述べている。 そこにいるのは自分だけで他に人のいない状態を寂しいと言うなら、それはlonesomeだよと、英語で説明されたのは僕が六歳くらいのときだ。この説明を聞いて lonesome はよくわかったが、自分では使うことのない言葉だろうな、という思いもすでにあった。...
View Articleロックスターになっていく矢沢永吉をソングライターとして支えた西岡恭蔵 ②~「トラベリング・バス」
写真・井出情児 いつだってとどまることのない挑戦の姿勢ーー、それが矢沢永吉というロックスターの核であり、表現者としての本質なのであろう。 ソロ・アルバム『アイ・ラブ・ユー、OK』が完成して1975年9月21日にリリースされる時点で、正確にはまだ発売の前だったにもかかわらず、矢沢は早くも次のアルバムに思いを巡らせていたという。...
View Articleエルヴィス ・プレスリー「68 カムバック・スペシャル」~完全復活を果たした7年ぶりのライブ
アメリカ南部のテネシー州メンフィスから登場し、瞬く間に全米の頂点へと昇りつめた男、エルヴィス・プレスリーがアメリカ陸軍に徴兵されたのは1958年3月のことだった。 エルヴィスの歌に出会ったことによって、音楽そのものに目覚めたというジョン・レノンがこう述べていた。 彼は軍隊に入った日に死んだーー。...
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