ミステリー・トレイン〜ジョー・ストラマーや工藤夕貴らが出演したジャームッシュ映画
『ミステリー・トレイン』(MYSTERY TRAIN/1989) 『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の後、一通の奇妙な手紙がジム・ジャームッシュの手元に届いた。そこには「あなたの映画が好きだ。一緒にビールを飲もう。私は東京に住んでいる」と書いてあった。もしNYに来られるならOKだよと返事すると、10日後、本当に本人がやって来た。...
View Articleニール・ヤング Don’t Be Denied 僕を否定しないで〜小児麻痺の後遺症、学校でのイジメ、両親の離婚、音楽への目覚め
僕が小さな少年だった頃 ママは僕にこう言った 「あなたのパパは今日出て行ったわ」と 僕はてっきりどこかへちょっと泊まりに行ったくらいのもんだと思ってた 僕たちは荷物をまとめてウィニペグまで車で下って行ったんだ 1945年11月12日、彼はカナダ・オンタリオ州トロントで生まれた。 父親はジャーナリストで、当時『トロント・グローブ・アンド・メイル』紙の有能なスポーツ記者だった。...
View Articleはじめての楽器は洗濯板だったというジョージ・ハリスン
ビートルズ時代には“静かなるビートル”と呼ばれていたジョージ・ハリスン。 ジョン・レノンとポール・マッカートニーという大きな存在に隠れがちだったジョージだが、自身も内向的な性格で積極的に前に出ようとはしなかったことが、“静かなるビートル”のイメージに拍車をかけた。 ジョージがそのような性格になったのは中学校に入った頃からだという。 1943年の2月25日にリバプールで生まれたジョージ・ハリスン。...
View Articleエルヴィス、キャッシュ、パーキンス、ルイスによる奇跡のセッション「ミリオンダラー・カルテット」
世界中にロックンロールが広まったエポック・メイキングな1956年も、そろそろ終わりが近づいてきた12月4日。 いくつもの偶然が重なりあったことから、音楽史に残る奇跡のセッションがメンフィスのスタジオで起こった。 全米の若者を熱狂の渦に巻き込んでいたエルヴィス・プレスリーが、インディーズ時代を過ごしたテネシー州メンフィスにある古巣のサン・レコードを、何の予告もなく訪れたのがことの始まりだった。...
View Articleルーファス・トーマスを偲んで〜底抜けに明るいキャラクターでメンフィスを元気にした男の功績と軌跡
2001年12月15日、“The world’s oldest teenager(世界で一番歳を取った十代)”と呼ばれた人気黒人歌手ルーファス・トーマス(享年84)がテネシー州メンフィスの病院で静かに息を引き取った。 亡くなる3年前に心臓の手術を受けており、死因は心臓の衰弱からくる心不全と発表された。 ユーモラスな歌とダンスが特徴の「Walking The Dog」「Do The Funky...
View Articleスター誕生〜70年代型ロックスターの愛と別れを描くバーブラ・ストライサンド主演作
『スター誕生』(A Star Is Born/1976) 「ロックスター」という生き様からは、様々なイメージを思い浮かべることができる。セックス、ドラッグ、アルコール、派手なファッション、長髪、田舎の大豪邸、高級車、専用ジェット、ホテル暮らし、プールサイドパーティ、モデルの女たち、グルーピー、スキャンダル、トラブル、海外逃亡、警察との衝突、逮捕劇、裁判沙汰……。...
View Article「長崎は今日も雨だった」~エルヴィス・プレスリーとドゥーワップから生まれた新しい日本の歌だった
「長崎は今日も雨だった」は、RCAレーベルのディレクターになった山田競生が最初に手がけたアーティスト、内山田洋とクール・ ファイブの記念すべきデビュー曲である。 山田は明治大学に在学中からプロのハワイアンバンドでベースを弾いていたが、1958年からは10年間にわたって和田弘とマヒナスターズのベーシストとして活躍した。...
View Articleあのバンドや歌手のアルバム売上枚数は?〜セールスランキングTOP 30発表
あのバンドや歌手のアルバム売上枚数は? 2000年代半ば以降、ダウンロード購入による単曲買いやストリーミングサービスや動画サイトが基準化し、「アルバム不況」と呼ばれる時代に突入した。そんな状況の中、2011年2月にリリースしたアデルの『21』は音楽賞を総ナメ。チャートの記録を塗り替えるだけでなく、全米で1400万枚以上/世界で3000万枚以上をセールスするという“異変”を起こした。...
View ArticleNo.1アルバム1964-2017〜カントリー音楽のスーパースターたち(2024年2月更新)
BillboardカントリーチャートにおけるNo.1アルバムの軌跡 「TAP the CHART」第78回...
View Articleダイナー〜選曲が心地いいミッキー・ローク出演の1959年の青春グラフィティ
『ダイナー』(Diner/1982) これまで本コーナー「TAP the SCENE」ではたくさんの青春映画を取り上げてきた。子供の頃に親に連れられて観たファンタジーアニメや家族向け映画とは違い、低予算でリアルな青春映画は初めて自分の小遣いで映画館に出向いた“体験”であり、スクリーンに映っているのは等身大の“人生”でもあった。...
View Articleロックスターになっていく矢沢永吉を作詞で支えた西岡恭蔵②~「トラベリング・バス」
いつだってとどまることのない挑戦の姿勢は矢沢永吉というロックスターの核であり、表現者としての本質なのであろう。 ロスアンゼルス録音によるソロ・アルバム『アイ・ラブ・ユー、OK』が完成し、1975年9月21日にリリースされる時点で、正確にいえばまだ発売の前だったにもかかわらず、矢沢は早くも次のアルバムに思いを巡らせていたという。...
View Articleエルヴィス・プレスリーの「ラヴ・ミー・テンダー」と忌野清志郎によるカヴァ―
エルヴィス・プレスリーの初主演映画は南北戦争を舞台にした西部劇、「The Reno Brothers(原題・リノ兄弟)」のために作られた「ラヴ・ミー・テンダー(Love Me Tender)」は、レコードが発売される前からすでにゴールド・ディスクと認定された。...
View Article音故知新④〜“ロックンロール”と“ロック”の分岐点
そもそも「ロック」という言葉が「ロックンロール」と区別されて使われるようになったのはいつからだろうか? 諸説ある中で、アメリカでは“1965年7月25日にロックが誕生した”と言われている。 一体この日になにがあったというのだろう?...
View ArticleAlison〜ウディ・アレンの映画のような傑作ラブソング
エルヴィス・コステロ。 彼の本名はデクラン・パトリック・アロイシャス・マクマナスという。 1954年8月25日、ロンドンで生まれた彼のステージネームは、憧れのエルヴィス・プレスリーと父方の祖母の旧姓に由来している。 彼の血統(ルーツ)でもあるコステロの姓は、アイルランド系に多い苗字。...
View Articleボリス・ヴィアンの「脱走兵」を忠実な歌詞で歌い継いだ沢田研二
「脱走兵(Le déserteur)」はシャンソン歌手のムルージが歌って有名になった曲だが、作詞したボリス・ヴィアンの歌によっても、後々の世代に長く受け継がれていった。 この歌が作られたのはフランスが第1次インドシナ戦争(1946~1954)の終盤の時期で、第2次インドシナ戦争すなわちベトナム戦争を意識して書かれた。だがムルージのレコードが発売になったのは、11月にアルジェリア戦争...
View Articleビートルズの「ブラックバード」に込められたポール・マッカートニーの思いとは?
ビートルズの「ブラックバード」はその美しいメロディと、シンプルゆえに様々な意味に受け取れる歌詞のおかげで、長く歌い継がれてスタンダード・ソングになっている。 CSN&Yやサラ・マクラクラン、フー・ファイターズのデイヴ・グロール、ジャズピアニストのブラッド・メルドーなど、幅広い分野のアーティストのカバーがある。...
View Articleロックンロールが開いてくれた扉から生まれてきた佐野元春の「SOMEDAY」
ブルース・スプリングスティーンの「ハングリー・ハート」がアメリカで全米チャートの5位にランクされるヒットになったのは、1980年の年末から翌年にかけてのことだ。 それから半年後、日本では佐野元春の「SOMEDAY」が6月25日にシングルで発売になった。 しかし発売した当時、このレコードはそれほど反響があったわけではなく、シングルチャートでは100位にも入っていない。...
View Articleホワイ・ミー~死後に発掘された2人のレジェンドによるデュエット
出来の悪い子ほど可愛い、という親がいる。 クリス・クリストファーソンは、けっして出来のいい男ではない。 「クリスが酔っ払ってない時なんて、見たことないよ」 彼の友人は口々に言う。 だが、アメリカのポップチャートで、最後にゴスペル・ソングが1位になったのは1973年のことで、その曲「ホワイ・ミー(・ロード)」は、クリス・クリストファーソンの曲なのである。 何故、主よ、この私に?...
View Articleキース・リチャーズが、ジミー・ペイジが敬愛したギタリスト、スコティ・ムーア
1950年代に青春を過ごした者たちは、誰もがエルヴィス・プレスリーに憧れたものだった。デビュー前のビートルズは、ジョンもポールもジョージも、リーゼントで革ジャン姿だった。だが、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズは違った。...
View Articleジミー・ペイジのFirst Step〜13歳で夢中になったロカビリー、14歳の時に父親からプレゼントしてもらったファーストギター
ジミー・ペイジといえば…1970年代に“最も成功したロックバンド”レッド・ツェッペリンの中核を担ったギタリスト兼リーダーである。 若い頃からアートスクールとの二足の草鞋でセッションギタリストとして活躍し、ジョー・コッカーのバックバンド、ニコのプロデュース、ザ・フーのレコーディングへの参加、ヤードバーズへの加入を経て、1968年にレッド・ツェッペリンを結成する。...
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